2023/04/21 21:15

こんばんは、直希です。


この記事では、僕の写真活動 / 地域密着型写真展のコンセプトである『I was here.』について書いています。
『I was here.』は僕の精神状態や人とのかかわり方、人生の捉え方、写真表現の考え方など、僕自身の内面をほぼ全て表すと言っていい独自の概念ですので、是非最後まで読んで頂き「ああ、そんな感じで写真撮ってんのね」と少しでもご理解いただけると嬉しいです。
また地域密着型写真展については、下の別記事で書いているので、こちらもぜひご覧ください。

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  目次
 1. 『I was here.』とは
 2. コンセプトが出来上がった経緯
 3. 思想
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1. 『I was here.』とは

『I was here.』には、僕にとって重要な意味と願いを込めています。

まず簡単に、「I was here = 私はここに存在していた」であり、文字通り僕は自分の存在や自分とかかわった人の存在を、写真という媒体を通して記録しています。
なので、日常の一コマとか遊びに行った時の思い出とかポートレートなどとは違い、ある種の証明写真としての役割を与えています。
その結果、写真の被写体は基本友達で、僕と彼らがかかわりあった場所や、彼らにとって繋がりが深い場所で撮ることが多くなります。

また「3. 思想」でも書いていますが、僕はよく過去を振り返るので僕にとっての写真は記憶蘇生装置的な役割も果たしています。
僕は撮ってきた写真を見ると、とてつもなく長い人類歴史時間の最中、今というほんの一瞬、僕という短い人生、運命的に出会った人とのかかわりや環境の中で、たしかに『そこにいた』ということを思い出させられます。
そして "彼らとかかわった過去" や "彼らとかかわっている今" は無数の意識的 / 無意識的な選択の積み重ねの上に成り立っていること。
そのうちどの選択が欠けても、別の選択をしても "今" の僕は存在しないこと。選択の結果の必然とも、偶然の連続でできた奇跡とも呼べる世界で出会った関係性には、何かしらの意味があるはずだと思っています。
そしてその人生は間違いなく愛すべきものであるということも。

なので僕の作品を見る人には、僕の大切な人たちを写した写真と文章から、忘れていた言葉を思い出したり、あのときの空気に触れたくなったり、会えなくなったあの人に会いたくなったりと、あなたの大切なものを思い出して、あなたの人生に想いを馳せて頂ければと思っています。

このように、『I was here.』には、存在証明の意と人生を愛してほしいという願いが込められています。
そして、地域密着型写真展という活動から、必然的に、そして奇跡的に生まれた人間関係や生活、個展開催までの過程を、写真や小説風の日記に転換することによって、多くの人に届いてほしいと思っています。
刻一刻と変化 / 消滅 / 創造される一瞬を、写真という表現で永遠に保存しているので、僕の作品を通して少しでも多くの人が自分の存在を慈しみ、かかわる人たち、そして生きている時間を愛してもらえばと思います。


インスタでも #i_was_here_ というハッシュタグを作っておりますので、ぜひ使ってみてください。
最後にもアンダーバーが必要なのでお忘れなく...


2. コンセプトが出来上がった経緯


『I was here.』が生まれたのは、僕が社会人になり上京して少し経ち、ある人と出会ってからです。
その人は、自己肯定感が低く常に自信が持てない僕に「直希なら大丈夫。直希だから大丈夫。」と言ってくれた人でした。
その人との出来事について、少しだけ引用させてください。
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 彼女は友人の話に関しては自分のことのように泣きじゃくるくせに、自分のことになると「なんとかなるよね!」と楽観的だった。僕も楽観的な方だと思っていたが、多分僕のは「なんとかなるよね?」だった。自己分析が苦手すぎて分からないが、変に生き急いでいる自分は、何度か彼女の余裕に救われている。何も考えてないのではなく、色々考えた上での「そんなに焦っても仕方なくない?」だから、なんなら僕より全然漢らしい。
最近隙があれば流している銀杏BOYZの「BABY BABY」を無意識に口ずさんでいる彼女は、西武遊園地のCMが流れる度に手と口を止め、「いいなあ、ゴジラ乗りに行こうよ!」と言っている。アマプラでゴジラの映画を「お金無いしなあ」と言いながら、本気でレンタルしようか悩んでいた。
付き合って間もない頃の箱根旅行では、客室露天風呂のある旅館に泊まった。僕らは中庭の「冷えてます。ご自由にお取りください」と書かれた看板の前にあるアイスバーとヤクルトを浴衣の懐で抱えながら部屋に戻ったり、深夜に無料配布されるカップラーメンを急いで取りに行ったりと大忙しだった。そして僕らは夜と朝にしっかり露天風呂に浸かった。彼女はその旅館が気に入ったらしく、「なんか特別な日に必ず来る場所をつくりたいね」と言っていた。
何も特別じゃない日にふたりでセットアップをキメこんで東京駅のダイニングバーresonanceに行ったときは、「今月は直希が予約してくれたから、来月は私が探すね!」と言った。結局来月にオシャレ気取り会が催されることは無かった。
毎週火曜にアイスが補充される近所のファミマにフローズンヨーグルトが置いてなかったときは、「また来週も来ようね」と言った。
同棲するために引っ越して少し経ったときには「契約終わったらもうちょい壁厚いところに引っ越そ。」と言った。
彼女は「次」を提示してくれる、未来に対して懐疑的な僕に、「大丈夫。」と言ってくれる人だ。
「あんたのそのネガティブ、私のポジティブで相殺されて良かったね」

小説風日記「I was here.」

- 一瞬の中にはあまりにもいいことが続いているのかもしれない - より
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僕にとって、その人との "今" は、上手く言えないけどずっと続いてほしい時間でした。
ただ、それは当然無理な話で、だからせめて写真だけでも、と彼女との "今" を写真によって保存していきました。
そこから僕にとっての写真は、誰に気付かれなくとも、大切な人と自分が、たしかに「そこにいた」ことを表現するための手段へと変わっていきます。
この時間、かかわりが、僕のコンセプトの土台です。
そして彼女に提示された「次」は10年後の2033年。最後の約束のうちの一つは、2033年に福井県で地域密着型写真展を開催することです。
その約束をしてお別れしましたが、彼女は今でも僕の心の中に住んでいます。


3. 思想

僕は半分、過去を生きています。(と勝手に思っています)
特に夜ですが、そうでなくてもよく過去の出来事や人を思い出しては、その時に戻りたくなります。
そして場所や音楽に結びついている思い出はより強烈に思い出します。
例えば東京の蒲田を歩けば、狭すぎるキッチンで料理を作って待っていてくれたあの人のことを思い出すし、母校の河川敷に行けば、インターハイを目指して汗だくになった夕暮れの部活を、認知症のおばあちゃんに会えば、醤油の濃い焼きおにぎりとスクランブルエッグを作ってくれた日曜日の朝を思い出します。ハンバートハンバートの「虎」を聞くと、二音上げてハモる練習をしたあの人との夜も。
思い出した出来事から派生してまた別の出来事を思い出して...という終わらない回想をよくしています。

ただ、過去に起きたどんな失敗、苦い経験、悔しい出来事も、もう一度やり直してより良い結果を得たいと思うことはありません。
やり直したいほどの後悔は一つだけありますが、その他はシンプルに戻ってもう一度同じ経験をしたいという意味の、過去に戻りたい、です。高1の体育の授業中にガム噛んでたのがバレて、顧問から大ビンタを食らったことも含めて。

なぜ結果を変えたくないかは明確で、その結果の上に今の自分が存在しているからです。
「1. 『I was here.』とは」でも書いたように、人生は無数の選択肢でできています。
意識的 / 無意識的に限らず、全て自分の選択によって次の選択が現れ、そして選択し、また選択肢が現れ、選択し、選択し、その選択の結果の積み重ねで今ができています。そしてその選択をしたことには必ず意味があると思っています。
もし蒲田を選ばず川崎に住んでいたら。もし浪人せずにストレートで大学合格していたら。もし顧問から大ビンタを食らっていなかったら。出会うはずだった人に出会わず、出会わないはずの人に出会っていたかもしれない、また別の人生がそこにはあり、もしかしたら写真を撮っていない人生だったかもしれない。もしかしたらこの文章を書いていない人生だったかもしれない。
それはそれで色んな出来事や出会いに生かされて感慨深い人生だったかもしれないが、今のこの人生が、僕なのです。

そしてその奇跡の積み重ねの中で出会った僕らは、このタイミング、この環境、この出会い方に意味があると思わざるを得ない。
なぜ僕は1996年でも1998年でもなく1997年に生まれて、なぜ福井県でも愛媛県でもなく岐阜県で育ち、なぜ上京して写真を撮りながら生きているのか。そしてたった2年で東京を離れて鹿児島に向かうのか。

未来のことは誰にもわからないけど、全ては繋がっていると思います。

そういう意味では、僕は明日死んでもいいとも思っています。それすら何か意味があるようで、僕の選択の結果の上に成り立っている事象であれば、何の後悔もなく受け入れることができます。
ただ、運が良ければ、僕は大切な人たちを見送ってから死にたいなとは思っています。そして大切な人がみんな幸せでいてほしいとも思っています。
少し脱線しましたが、この思想の上に『I was here.』は在ります。


しつこいようですが、僕らの出会いは、今の自分を形作っている選択の結果の必然であり、偶然の連続でたまたま生まれた奇跡によるものだと思います。
劇的でなくても運命的に出会った僕らは、出会うべくして出会い、かかわり、お互いの人生の一部になっています。
あなたは誰かにとっての大切な人であり、その誰かも誰かにとっての大切な人です。
あなたの大切な人たちを、あなたの人生を、愛してください。


長くはなりましたが、以上が僕の写真活動及び地域密着型写真展のコンセプトです。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
カッコつけて名前まで付けましたが、僕が写真で表現したいこと、写真活動の土台である『I was here.』について、少しでも理解していただければ嬉しいです。
また、今後も長く続けていくことになるであろう地域密着型写真展を通して、いつかお会いできると嬉しいです!

展示に来れない人にも少しでも作品を見ていただければと思い、地域密着型写真展のアカウントも開設しておりますので、
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